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ヘルパー体験記
『星の牧場』に風がきた
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 ヘルパー生活の終り

牧場へ、いらっしゃい!

『星の牧場』に風がきた

まきばの人たち

 釧路まきばYHに到着してみれば、すでに先輩ヘルパーの寺西シェフが働いていました。先輩といっても一週間だけ先輩なだけなのですが、この寺西シェフは、青年海外協力隊で三年間、フィリピンの牧場で活躍してきた人で、とても物静かな人です。多少頑固な所はありますが、仕事に対しては熱心な人で、過去にレストランの調理場で働いた事があるという実績には、とても私のかなう所ではありません。
「ヘルパーをやるからには、料理を覚えたい!」
と、言うのが私の願いでしたが、その期待はみごとに裏切られてしまいました。私は、とても不器用だったのです。私が切るキャベツの千切りは、百切りがいい所で、よくYHの母さんに、
「鶏がまたぐよ」
と笑われ、赤面したものです。その点、寺西シェフの腕は素晴らしいもで、私は、しまいには厨房を追出されてしまいまったのです。

 まきばYHに着いた当初、私は、この寺西シェフのお尻を、金魚の糞のようにくっついて歩き回りました。仕事と云う仕事は、すべて、この寺西シェフから盗み取るように覚えていきました。しかし、寺西シェフもなかなか素晴らしい男で、私に仕事を明渡してくれません。
 暇な時は、二人して仕事を奪い合うといった関係が続きました。この連係プレーは、当初は恐ろしいほど巧くいっていました。でも、厨房の仕事に関しては、私が簡単に盗めませんでした。なにしろYHでの仕事の大部分は調理場での仕事でしたから、私の落込みぐあいはハンパなものではありません。
 けれど、捨てる神あれば、拾う神ありです。寺西シェフは朝に弱かったのです。私は、寺西シェフが寝ている間に、朝食作りの仕事を奪い取ったのです。

 ペアレントさん(父さん)は、とても陽気な人です。いつも下らない冗談を言って、私の顔を引き攣らせました(どう反応していいか解らない)。
 しかし、仕事に対しては厳しい人で、布団のたたみ方一つ、窓の開け方一つにも、こだわりを持っていました。ヘルパーになりたての頃の私は、ああ、随分仕事のきついYHだなあと思う事がありましたが、それも、たった三日間だけでした。私が仕事を覚えてくると、父さんは、私に仕事を任せるようになってきたからです。父さんが仕事に厳しかったのは、すべての仕事をヘルパーに預けるためだったのでした。
 これは素晴らしい事です!
 仕事を任されれば誰だったやる気が出てきます。それに、きちんとした仕事を教えてもらえれば、それだけ私自身のためにもなります。勉強にもなります。その上で任せてもらえるのですから、これ以上ヘルパーとしてやりがいのあるYHはないのではないでしょうか?
 まず、ゴミ集め。父さんはゴミの選別にうるさい人でした。燃えるゴミはすべて、まきばYH自家製焼却炉で燃やしてしまいました。缶類はスチールとアルミに選別し、ハッポウスチロール製品も選別し、再生できるものは再生し、ビニール袋といったものは再利用しました。そして紙類は揚物調理やメモ用紙に再利用しました。まきばYHに泊ったホステラーさんたちは、実に大量のゴミを捨てていきましたが、それらのゴミの山は、実に有効に利用されていたのです。これは実に素晴らしい事です。全く父さんには頭の下がりました。

「風さん、風さん、ちょっと来てごらん」
「なんだい、うるさいなあ・・・・」

と父さんの呼びかけに振り向きますと、父さんは庭先に座って野草を眺めていました。

「自然の力は偉大だねえ・・・・」

 父さんは呟きました。父さんの見ていた野草はジャガイモの芽だったのです。見れば、庭先のあちこちにジャガイモの芽が出ています。父さんは、生ゴミを庭のあちこちに埋めていたのです。ジャガイモの芽は、父さんが埋めた生ゴミから発芽したジャガイモの芽だったのです。
 私は、なんとも言えない気持ちになりました。確かに自然の力は偉大です。けれど、その偉大な自然の力を見るためには、一生懸命、生ごみを大地に返してやる事が必要なのです。私には、口先で
「環境破壊反対!」
を唱え、どんどんゴミを捨てていく偉い人たちより、まきばYHの父さんの方が、よっぽど輝いて見えます。

 そして部屋掃除。まきばYHは、当時で築21年の古い古いYHです。YHの中でも古参のYHと言ってもいいでしょう。当然、あちこちにガタがきています。けれど、泊っていただいたホステラーさんたちは、口を揃えて「綺麗なYHですね」と、言ってくれました。これは掃除の仕方に大いに関係があります。どんなに新しくて綺麗なYHでも、ベットメイキングが悪ければ、綺麗に見えません。ホコリの溜まったベットでも同じ事です。ヨレヨレのシーツなら尚更です。
 また、トイレとお風呂の清潔さも、宿に与える印象は大分違います。多くの旅人たちは、安らぎを求めてやって来るものですが、そんな時、安らげる宿であるかどうかは、宿のもつ清潔感は重大な要素のような気がします。たとえ古くてボロボロの宿でも、清潔でこざっぱりとした部屋なら案外、宿の古さは気にならないものです。

 私は昔、宿の綺麗さで宿泊地を選ぶ人を、軽蔑していた事がありました。宿が汚くたって面白ければ、いいではないか、オーナーが良い人ならばそれでいいではないか、と思っていました。しかし、それは、まきばYHでヘルパーをしてから、かなり考えが変ってきました。
 古い建物でも、掃除の仕方、部屋の飾りかた一つで、工夫の一つ一つで、いくらでも素晴らしい部屋になるのは、まきばYHを見ればよく解ります。それをせずに、荒れ放題にまかせた宿は、何の努力もなされていないと言えます。手を抜いた掃除をすれば、それが何年も続けば、宿は傷んでしまいます。本当に宿に愛着があれば、掃除に手は抜けないはずです。

 部屋飾りにしたって同様です。まきばYHには沢山の絵が飾ってあります。素晴らしい写真も飾ってあります。これは昔のヘルパーさんたちが描いた(撮った)ものだそうです。このYHの飾りつけは、オーナーたちだけでなく、ヘルパーたちも一緒になって作り上げたものである事が、私には微笑ましく思えました。
 また、部屋のあちこちに飾られている花の数々も特筆ものです。これらの花は、YHの庭先で、その辺の道端で、野草と共に咲いていた名もない花なのでした。悦子さん(母さん)が、散歩がてらに摘んできた花でした。でも、多くの旅人たちにとっては、そんな無名な花の方が、花屋さんで買ってきた花なんかより、よほど綺麗に見えたらしく、私はよく「何の花ですか?」と、尋ねられました。でも、私は、「さあ?」と、首を傾げるだけでした。
 何故か、まきばYHの周囲には、花がたくさん咲いていました。花だけでなく、パセリやミツバといった野菜たちも、山のように自生していました。それらの野菜の多くは、まきばYHの食卓に上りました。実は、まきばYHの食事には、自家製無農薬有機栽培の野菜が使われていたのです。

 悦子さん(母さん)は、陽気に笑う美人母さんです。その笑顔は、くたくたに疲れたヘルパーたちに、やすらぎを与えてくれました。無断キャンセルなどでペアレントさんが怒っていると、「ペアレントが怒ってる、ペアレントが怒り狂ってる」と、面白可笑しそうに笑い転げる悦子さんは、とてもとても愉快な母さんです。しかも、この母さんは、なぜかとても若いのです。とても十八歳の娘のいる母親とは思えません。代々のヘルパーたちが、「母さん」と呼ばずに悦子さんと呼んでいたのがなんとなく解ります。実は、まきばYHの受付にいる私に、とても若い女性の声で「もしもし風さん?」と、電話がかかってきた事が何度かありました。私はてっきり『風のたより』関係者と思い「おお! お久しぶり・・・」などと返答しますと、電話の主は高らかに笑い「私よ、ペアレントの妻ですよ」
と答えるのでした。
 そんな母さん(悦子さん)は、とても優しい人です。まきばYHでは、常に縁の下の力持の役をしていました。トイレ掃除などの汚れ仕事は、主に母さんが行なっていました。夜遅くまで起きてて、私たちの会計決算を待っていたのも母さんでした。

 麻子ちゃん(18)は、札幌の福祉関係の学校に行ってる、ペアレントさんの一人娘さんです。感心な事に麻子ちゃんは、少ない夏休み(二週間ほど)を返上してYHを手伝ってくれました。家の手伝いをこれほど進んでする人は今どき珍しいかもしれません。

 義人君(16)は、高校二年生になる、悦子さんの一人息子さんです。直接YHの手伝いをする事はありませんでしたが、それでもペアレントさんの手伝いをよくしていたように、思います。いつだったか、釧路に台風が直撃しそうになった事がありましたが、「さあ大変です」とはしゃぐ母さん麻子ちゃんを尻目に、「全く、うちの女どもは大げさなんだから・・・」と、ニヒルに呟く義人君でした。

 まきばYHには、二人の居候(ヘルパー補助)がいました。市原京子さんと寺嶋麻代さんです。この二人には大変悪い事をしたので、私は二人を思いだす度に胸が痛くなります。

 市原京子さんは、標茶(釧路の近く)に住む薬剤師さんです。せっかくの夏休みに雨が降り、仕方なく、まきばYHに遊びにきたのが運のつきだったようです。二人しかヘルパーがいなかったため、コキ使われるだけコキ使われてしまったのでした。居候という事で来たのにもかかわらず、ヘルパー以上に働いて帰っていった彼女は本当に素晴らしい人だと思います。
 そして、この市原さんは、まきばYHにいる間、とても熱心に『風のたより』を読んでいました。そして標茶に帰る際、こう言ってくれました。『風のたより』って、椎名誠の『東日本何でも蹴飛ばす会』みたいだねって。そして、『風のたより』を送ってほしいと言ってくれました。

 寺嶋麻代さんは、まきばYHの御客さんでした。まきばYHの雰囲気を気に入ってくれて、1ヵ月ほどヘルパーをしたいと言ってくれた人でした。それを聞いた私は内心困っていました。実は、まきばYHの仕事は、それほど楽ではないし、ヘルパー同志が内輪で楽しく遊ぶと言った事もなかったからです。
 実は、私がヘルパーをするにあたって決意した事がありました。1つは、御客を第一に考える事です。消灯時間を早くして、御客さんをさっさと寝かせ、ヘルパー同志が酒盛をする事は、多くのYHに見られる事です。

 でも、私がヘルパーをしている間はそういう事はしたくなかった。禁酒禁煙を御客さんに強制しておきながら、ヘルパーたちが消灯時間後に、酒とタバコで盛り上がるという事だけはしたくなかった。そんな事をして睡眠不足になるくらいなら、少しでも睡眠をとって、明日の御客さんにそなえたほうがいい! だから、私は酒を絶ちました。仲間のヘルパーと遊ぶ事をせずに、全エネルギーを御客さんに集中してしまいました。しかし、そのしわよせは、寺嶋さんと後述するヘルパー関根麻衣子ちゃんに行ってしまったのでした。
 実は私は、『風のたより』の企画のトムラウシ縦走に参加するため、7月26日から4日間、ペアレントさんに御休みを頂いていましたが、出発直前に寺嶋さんは私に「もう辞めます」と告げてきました。彼女には、悪い事をしてしまいました。彼女はヘルパーの楽しさを覚える前にまきばYHを去って行ってしまいました。彼女は、たったの三日しか、まきばYHにいなかったのです。

 まず、寺嶋さんと寺西シェフは、とても相性が悪かった。寺西シェフは、世の中に大勢いる男たちと違って、女性に優しさをふりまく人ではなかった・・・・。おまけに頑固な性格も手伝って、とても誤解されやすいキャラクターをしていました。
 こういう男の良さは2〜3日位では解らないものですが、寺嶋さんは彼のいい所を知る前にまきばYHを去って行ってしまった。これは、御客さんばかりを相手していた私に大きな責任があります。もっとヘルパー同志のコミュニケーションを大切にすれば良かった。禁酒など、さっさと破って、ヘルパー全員で盛り上がれば良かった。今の私はそう思っています。
 後日、私は寺嶋さんが、まきばYHから、あちこちのYHにヘルパーになりたいと電話していたのを知った私は、何故か無性に淋しかったものです。

 関根麻衣子ちゃん。彼女は17歳の高校生です。ヘルパーを始めて2〜3日後に、辞めたいと相談された時は、私の顔は蒼ざめてしまいました。寺嶋さんが辞めたばかりだったので、事の重大性に気づいた私は、なんとか、もっと楽しくヘルパーをする方法はないかと考えましたが、なかなか名案は浮びませんでした。
 私はヘルパー期間中、誰よりも接客に心を砕いてきましたが、ヘルパーの仲間たちには、御客さんに対するほど気を使っていませんでした。ヘルパーと御客さんの両方に気を使うほど人間ができてなかったわけでしたが、まきばYHを『ヘルパーにとって天国』にするのではなく、『御客さんにとって天国』にしたいと言う願いがあっての行動でした。
 御客さんにとって、いいYHは、必ずといっていいほどヘルパーにとって、きついYHになります。寺嶋さんも、麻衣子ちゃんも、その犠牲者となったわけですが、そして、その事に対して悲しい思いをし、反省するのですが、それでも方針を変える事をしなかった私は、鬼かもしれません。
 ただ、私が麻衣子ちゃんにしてあげられた、精一杯の事は、夜は真っ先に寝かせ、朝はなるべく遅くまで寝てもらい、できるだけ麻衣子ちゃんの仕事を手伝ってあげるだけでした。そして、麻衣子ちゃんは、まきばYHを出て行く時、私に、こう囁きました。

「風さん、私、一週間後に戻ってくるからね。まきばYHに戻ってくるからね・・・・」

そして、麻衣子ちゃんは、約束どうり一週間後に戻ってきたのでした。そんな麻衣子ちゃんは、とても陽気で明るい性格でした。彼女がいるだけで、まきばYHが、どんなに明るくなったことか。特に麻衣子ちゃんは、男の御客さんたちの人気者で、中には麻衣子ちゃんをしつこく追いかけ回した人がいたくらいです。
 麻衣子ちゃんが多くの『まきばYHファン』を作りました。麻衣子ちゃんは、余った夕食の残りをこっそりお腹のすいた御客さんに食べさせたり、写真を撮りあう御客さんたちの中に、進んで登場する女の子でした。そして、とても御喋りの好きな女の子でした。誰とでも陽気に御喋りする女の子でした。特に、御客さんを差別しないところが好感の持てるところでした。

 滝田純子さん。私がまきばYHを去る一週間前にやってきたヘルパーです。大人しい京都の人でした。地道な仕事を黙々とこなす人でした。最初は、口数少ない人で、はたして接客ができるか? と、思いましたが、滝田さんは積極的にミーティングに参加してくれました。そして、多くの旅人たちと旅を語っていたようです。特に仲良しの麻衣子ちゃんと一緒に、御客さんたちと御喋りを楽しんでいたようでした。

 林真理子さん。私がまきばYHを去る一日前にやってきたヘルパーです。残念ながら彼女の事は、殆ど何も知るところのないまま私はまきばYHを去ってしまいました。
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