ブルーベリー 旅に出たい人へ 風のひとりごと 強者の論理
「どうして内輪の集まりにしてはいけないんです?」「え?」 驚きました。そんなことは、誰でも知っている、あたりまえのこと、世間一般の常識だと思っていましたから、私は恐ろしく驚いたわけです。 世の中には、強者と弱者が存在しています。強者とは、強い立場にいる人のことで、弱者とは、弱い立場にいる人のことです。そして『風のたより』という旅人の集まりは、常に弱者を対象に作られ運営されてきました。 登山の時は、一番体力のない人に合わせてきましたし、ツアーの予算は信じられないくらいに安くあげてきました。だから、参加者の中には障害者がいたり、生活苦にあえいでる人もいます。だから体力的な弱者と経済的な弱者を基準にツアーやイベントの企画をたてているわけです。 月刊『風のたより』の発行に関しては、中学生にも読めるという前提で製作していますし、私の文章は、わざと難しい表現を避けています。これも、文字を読むのが苦手といった、文章的な弱者を基準に発行しているためです。 肉体的な弱者。 経済的な弱者。 文章的な弱者。 いろいろな弱者を基準に活動してきたたわけですが、私たちが一番気をつかってきたのは、そういう弱者よりも人間関係の弱者に気を使ってきました。では人間関係の弱者とは、どういう弱者なのでしょう? クラブとかサークルとかいった組織において、一番の強者はリーダーです。そして、一番の弱者は新参者になります。どんな組織でも、昔からいる奴が強者ですし、新参者は弱者であることに違いはないと思います。 これを旅の宿にあてはめてみれば、ユースホステルやユース民宿に多い常連客という存在は、当然のことながら強者になります。そして、初めてそこに泊まる者は弱者になるわけです。そして常連客の多い宿は、強者ばかりが泊まっている宿になります。もし、そんな宿に生まれて初めて、しかも一人で泊まろうとするのであるならば、あなたは弱者です。 みんな常連客だ。みんな知った顔、宿のオーナーとも親しいし、仲よさそうに盛り上がっている。でも新参者の私は、その中に入れない。そういう場合のやりきれなさと言ったらありません。本当に嫌になってきます。 こういう場合は、一人淋しくビジネスホテルにでも泊まっていた方が、よっぽどマシに思えてきますから不思議です。旅の宿での強者と弱者の関係は、かくも残酷で冷酷なのです。 旅人にとって旅先の宿の善し悪しは、悲しいくらいに大切です。せっかくの楽しい旅も、宿で嫌な思いをしてしまってはだいなしです。特にユースホステルでは、一緒に泊まっている御客さんしだいでずいぶん違うものです。常連客が我がもの顔で幅をきかせ、知った顔としか話をせず、新参者の御客さんの一人が、その輪の中に入りこめなかった場合、何だかとても惨めな気持ちになってくるから不思議です。 そんな宿で貴方は楽しく旅の疲れを癒すことができますか? できませんよね。 強者の心優しい気遣いがなければ、弱者は弱者の立場を抜け出すことは難しいものです。私たちが、一番気をつかってきたことは、こういった人間関係の弱者に対してです。初めて参加する人に、ちょっとシャイな人たちに、ひっこみ思案の人たちに、人見知りする人たちに、高齢者や幼年者に、一番気をつかってきたのです。 実は、私が釧路まきばユースホステル(星の牧場ユースホステル)でヘルパーをやっていた時、一番気をつけていたのが、こういった人間関係の弱者です。 だから、釧路まきばユースホステルのヘルパーをやっている時は、60人の御客さんの名前と顔を一生懸命に暗記しました。受け付けの時には、必死になって御客さんに話しかけましたし、宿泊者名簿(名前と出身地と明日の宿泊先が書いてある)を隠し持っては、もじもじしている御客さんに御茶をさしだしました。 特に、若者の中に入れなかった御老人や親子連れの御客さんには、自腹を切って買った菓子等を御馳走したりしました。そういうわけで私が釧路まきばユースホステルでヘルパーをやっていた時は赤字でした。ペアレントさんから貰う礼金よりも、私が自腹を切る金額の方が多かったのです。 釧路まきばユースホステルの御客さんの大部分は、旅人としては弱者だったと思います。生まれて初めて北海道にきた人や、生まれて初めて一人旅する人や、生まれて初めてユースホステルを使う人や、何も知らない、本当に何をどうやっていいやら分からない人など、見知らぬ人と旅の話をするなんて、とんでもないと言った、旅の素人たちばかりが来ていました。 そういう人たちは、いつも恐る恐るユースホステルのドアを叩き、受け付けをしている私の所に、まるで尋問でも受けるかのように、緊張してやってきたものです。 私は、こういう弱者に一番気をつかいます。強者は、放って置いても勝手に仲間を作り、勝手に内輪で集まり、勝手に好き勝手なことをしますが、弱者は、放って置けば、どんどん置いて行かれ、不愉快な思いをしたり、悲しい思いをしまうものです。 とは言うものの、弱者は、いつかは強者になっていくものです。私たちが弱者を基準に活動していると言っても、弱者はすぐに強者(常連)になっていまうものです。そして、弱者を基準にすることにあきたらない者は、自然と強者同志で内輪の集まりを作っていくものです。そして私たちから去っていきます。でも、その代わりに新しい弱者が私たちのもとにやってきます。 「内輪の集まりにしない」 と言うことの意味は、強者の論理で物事を進めていかないという宣言です。 「最近の『風のたより』は人数が増えすぎて収拾がつかないよ。そろそろ人数を区切って内輪の集まりに活動を限定したらどうだい?」 こういった御意見は、自分たちだけが良ければ良いという発想が根底にあると思います。旅の弱者に何かを「与えよう」という気持ちが欠けているわけです。かつては、自分も弱者で、多くの人たちからたくさんのものを「もらっている」ということを忘れているのではないかと思うのです。 「そろそろ人数を区切ろうよ」とか、 「これ以上、『風のたより』を大きくしたくない」 と言う人の心の中には、自分は強者になったのだから、もう弱者のための『風のたより』の活動はいらないと言ってるようなものです。 なにげない言葉ではありますが、私には、とても残酷に聞こえてくる言葉です。どうしてもギャップを感じてしまうわけなのです。何故ならば、そんなことを言っている本人が、ついこの間まで、弱者であったからです。もとをただせば、『風のたより』のメンバーの99パーセントが、弱者であったことを忘れてはならないと思うのです。 【風のひとりごと】 (旧「風のたより」18号掲載文・1994) |
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