ブルーベリー 旅に出たい人へ
  風のひとりごと

本当に強い人

 『風のたより』18号に書いた『強者の論理』は、大きな反響がありました。賛否両論。様々な御意見が寄せられました。これは私の想像ですが、実は、ほとんどの読者の皆さんが、強者にしいたげられた経験があったのではないですか? ここで、ちょっと読者の皆さん手紙を紹介してみましょう。

     沖縄の☆☆ユースホステルに泊りました。とても奇麗なユースホステルで食事も美味しく、ペアレントさんも感じのいい方で、何もかも申し分のないユースホステルでした。けれど、部屋に案内されると、同室の人から、「ダイバーですか?」という質問をされました。私が「いいえ」と答えると、それで話は終ってしまいました。私は、それからそのユースホステルに3泊したわけですが、3泊とも同室の人に無視されてしまいました。そうです、そのユースホステルは、ダイバーばかりが宿泊するユースホステルだったのです。
    読者より

 この他にも、ライダーの集団、鉄ちゃん、常連客などに疎外されたといった話が続々と送られてきています。それから「☆☆ユースホステルでは、ヘルパーが、気に入った客だけをユースホステルの事務所に入れて酒盛りをしていて腹立たしかった」と言ったものが多く見られました。酷いのになると「ヘルパーが女の子をかき集めてツアーをやり、男である私は、全く無視されてしまった」とか、「自称カメラマンなる常連客の絵葉書を無理やり買わされ、買わないと全く無視される」という話もありました。
 でも、実を言いますと、これなどは、まだましな方で、とても公表できないような事件も、たくさんよせられてきています。いったい、どういうして旅人の世界に、このような事がまかり通っているのでしょうか?

 強者に疎外される。その被害者は、実は加害者だったりします。不思議なことに被害者は加害者であったり、加害者は被害者であったりします。決して一方的な被害者というものが存在していないことが強者の論理を展開している人たちの特徴です。
 どういうわけか、ユースホステルの常連客というものは、特定のユースホステルしか泊りません。その理由は、そのユースホステルで強者でいられるからと思われます。しかし、それ以外のユースホステルでは弱者だったりします。だから強者でいられる所に、しがみついていたりします。

 ☆☆地区しか旅をしないといった旅人も、☆☆地区以外の所では弱者だったりします。ライダーハウスで牢名主のような態度をとっているライダーも、ダイバー以外に目もくれないダイバーも、狂ったように鉄道のことを話しまくる人たちも、それ以外の所では、どうしようもない弱者だったりします。つまり強者というものは、弱者と紙一重であり、ある所で強者だった人が、それ以外のところで信じられないくらい弱者だったりすることは、よくある話です。

 これは何も旅人に限った話ではないような気がします。出世に命をかける仕事の鬼も、会社を離れてしまうと意外と脆いものです。家庭内で弱者だったり、世間一般の人たちとレジャーを楽しもうとしますと、自分がものすごい弱者であることに気がついたりします。
 逆に言えば、会社でどんなに目立たない存在(弱者)であっても、旅に出たり、鉄道に乗ったり、ダイビングをしたり、登山したりした時に輝きを増す人もいます。
 それらのことを考えますと、人間というものは、全ての事において強者であり続けることなんて不可能であることに気がつきます。だから人間という生き物は、自分が強者でいられるところ必死に探しだそうとするのかもしれません。
 そして、自分が強者でいられるところを見つけた時に、ものすごい快感が得られるわけです。いわゆるハマってしまうわけです。そして、知らず知らずのうちに、弱者を疎外していっているわけです。そして、疎外された弱者に、すごく嫌われるわけです。
 一昔前、オタクが世間一般から嫌われたことがありましたが、これなどは、弱者疎外をする人間の典型かもしれません。ダイバーがダイビングの話しかしない。ダイバーとしか話さない。決して世間一般と交わろうとしない。そういう人たちは、世間一般から、嫌われる傾向にあります。

 旅をすると、やたらと常連の強い宿が多いのに驚きます。旅のサークルにも常連の強い所が多いようです。☆☆は呼ばれても、★★は呼ばれなかったという飲み会などは、腐るほど聞いていますし、主催者が常連(気に入った人)としか話をしないといった話も嫌になるくらい聞いています。つまり、どんな宿にも、どんな旅の集まりにも、弱者と強者は、存在しているわけです。
 けれど、弱者は、どこに行っても弱者であることはなく、ある宿では強者だったりし、ある集まりでは強者だったりするわけです。そして、自分が弱者であった時は、恨みつらみを言うくせに、自分が強者の立場にいますと、平気で弱者を切り捨てようとします。人間という生き物は、本当に勝手な生き物です。

 世の中には、強者と弱者がいます。これは仕方のないことです。でも、勘違いしてはいけないことは、
強者=強い人
とは限らないということです。例えば、会社の上司は、部下である自分より強者であるわけですが、この上司が、自分より強い人とは限らないわけです。たとえ上司という立場(強者)であっても、自分よりも人間的に弱い人は、いるわけです。つまり、立場として強者であっても、人間として弱い人である場合も、大いにありえるわけです。

 強者の立場にいるけど、人間として弱い人。
 弱者の立場にいるけど、人間として強い人。

 本当に強い人は決して弱者を疎外しないものです。いくらでも弱者を受け入れる度量を持っているはずです。それが出来ない強者とは、本当は人間として弱い人のような気がします。
 例えば、オタク族について言えば、どんなに弱々しい人間でも、オタクの世界の中では、強者になってしまうわけです。つまりオタクの世界とは、オタク族にとって唯一、一般人に対して強者の立場にたてる場所なわけです。
 でもオタク族が、いくらその道のスペシャリストであっても、一般人と普通の会話ができず、一般人のルールを守れず、一般人との接点を見つけようとせず、一般人を自分の世界から排除していては、強い人とは言えないような気がします。

 オタク族が、なぜ世間一般に嫌われたか? その理由は、本当は弱い人間であったのに、自分たちだけ強者でいられる世界を作って、他の人たちの侵入を許さなかったためかと思います。そのへんが、マニアとオタクの違いのような気がします。

 社会が、オタクという言葉をマニアと区別して使った背景は、オタクという種族を蔑視していたところがあると思います。オタクという言葉の中には、
「(自分たちだけ)強者の立場にいるけど、人間として弱い人」
というニュアンスがあると思うのですが、どうでしょうか? 言いすぎでしょうか?

 いくら特殊な趣味を持っている人でも、決して自分たちだけの世界で固まらず、すすんで他の世界の人と交じり合い、自分の趣味で多少なりとも社会に貢献していれば、尊敬こそされ軽べつされることはないはずです。
 それは、多くの旅人たちにも言えることのような気がします。旅人にオタク化現象が少なからず見られるのは、私の気のせいでしょうか? 最初から常連客をめざす旅人たちや、やたら内輪に固まりすぎる旅人たち。そして自分たちだけが強者でいられる世界を構築し、弱者を切り捨てている人たちが、最近の旅人の中にはいないでしょうか? そういうユースホステルや、ユース民宿がないと言いきれるでしょうか?

 弱い人間ほど他人の欠点が気になり、弱い人間ほど気に入らない人間を疎外してしまうものです。本当に強い人なら、少々の欠点など気にせずに、なんでも包み込んでしまう広い心を持っているはずです。ましてや弱者に手を差し伸べることなど何でもないはずです。
 逆に言えば、内輪に走り、気に入らない人を拒否する人は、自分の弱さを証明しているようなものです。そういう意味で本当に強い人とは、強者の立場にいる人ではなく、誰でも受け入れる広い心をもった人のことを言うような気がします。

 弱者が、それこそ立場の弱い人が、すんなり入っていける場。世の中には、そういう場が少なすぎます。そのくせ自分が強者になれる所を求める、自分が強者になれる所を作ろうとする傾向だけが強いのは、ちょっと考えものだと思います。
 だから、せめて私たちだけでも、誰でも受け入れられる『場』を作っていきたい。そこで、御願いしたいことは、皆さんが、できるだけ弱者を受け入れる大きな心を持つことを私は期待します。旅オタクと言われないよう気をつけようではないですか。優しい心をもって、もっと多くの人たちと、自分と違う世代の人たちと、自分と違う世界の人たちと、心と心のふれあいを求めましょうよ!
【風のひとりごと】
(旧「風のたより」20号掲載文・1994)

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