ブルーベリー 旅に出たい人へ
  風のひとりごと

自立と適応について

 動物園で一番厄介な動物は何だと思いますか? 元上野動物園園長の増井光子さんは、三世四世といった動物園で生れ育った動物だと言います。一世つまり捕獲された野性動物は、それほど厄介ではないんだそうです。
 私たちの感覚から言えば、動物園で生れ育った動物の方が人間になれていて、言うことを聞きそうな感じなのですが、どうやら違うみたいなのです。

 例えば、デカオという野性のカバがナイロビで捕獲され、昭和27年に上野動物園にやってきました。するとこのデカオは、すぐに動物園に適応してしまったそうです。見物客がプールに行って呼んだりすると、大きな口を開けてサービスしてくれたり、虫歯予防デーの歯磨きデモンストレーションの時なども大きな口を開けて協力してくれると言うのです。野性のカバなのに・・・・。
 これが動物園で生れたカバになると絶対に、そんなことはしない。噛みついたり、人間を避けたりする。
「そんな馬鹿な!」
と思うのですが、人間に慣れるのは野性の動物の方であって、動物園で生れ育った三世四世の動物ではないのだそうです。

 例えば上野動物園でカバの引越しを行なった時、動物園で生れたカバは絶対に動こうとしないのに、デカオという野性のカバは、さっさと新しいカバのプールに行き、ひと泳ぎして居心地を確かめたうえで古いカバプールに行って、仲間を呼びに行ってる。
 しかもデカオは、不安そうにしている仲間のカバを安心させるために、自分の顔を見せながら、後ろ向きに歩いて、新しいカバのプールに連れて行くという離れ業をしたそうです。

 この不思議な現象を増井光子さんは、このように解説しています。

 デカオが捕まった川は、ナイロビ郊外の川で今は街になっている。もしデカオが自然の中にいたら、川を移動して新しい住居を探さなければならない。仮にその川が町になってなかったとしても同じ環境が続くとは思えません。洪水や旱魃がおきて、行動圏を変える必要がでてくる。つまり野性のカバは、さまざまな環境の変化と戦っているわけですね。 そうした経験があるからデカオは、日本に来ても、その続きと思って、「よし、今度は上野動物園を自分の行動圏にしよう」と、すぐに環境に慣れてしまった。だからカバ舎の引越しでもスムーズに引越ししてくれたわけですね。

 ところが動物園で生れたカバたちは、容易には引越ししてくれないし、環境が変るとすぐパニックになる。見慣れているはずの人間
に対しても極端に臆病で攻撃的だったりするのです。
 面白いですね。
 野性のカバが人間に対して優しく、動物園のカバが人間に対して臆病で攻撃的だなんて、私たちにとっては想像もつかないことです。けれど、よくよく考えて見ると「きわめて当たり前」のことのような気がします。人間においても当てはまる事だからです。人間だって動物園のようなところから一歩も出なければ、動物園のカバと同じような運命になるからです。
 子供を世間から隔離して甘やかしていると、動物園のカバのようにエサをくれる親に対して攻撃的になったりします。逆に社会の荒波にもまれた子供たち、つまり親元を離れた子供たちの方が親思いになったりする。親から片時も離れずに、ずっと一緒にいる方が、親思いになりそうなものですが、実際には逆で親から離れている子供たちの方が親思いになります。

 そう思うと「私たちは動物園のカバになってないだろうか?」と心配になってきました。昔から「苦労は買ってでもせよ」と言いますが、これは「野性のカバのようになれ」と同じ意味にかもしれませんね。
 野性のカバは、自然の中でも動物園の中でも、どちらでも適応できます。けれど動物園のカバは、同じ動物園内の新しいカバ舎へ適応することさえ難しくなっている。しかし、私たちに動物園のカバを笑う資格があるでしょうか? 私たちは自身が、知らず知らずのうちに動物園のカバのようになってないでしょうか? 自分でも気がつかないうちに動物園に入ってしまっているということはないでしょうか?
 実は私には「自分は動物園のカバのようになってない」と言張れる自信がありません。かって1年間海外旅行(というより放浪)をした時に情けないくらいに右往左往したからです。それを思うと海外放浪する前の私は情けないくらいに動物園のカバであったと思います。生れて初めて国内一人旅をした時は、もっと動物園のカバに近かったし、親元を離れて自立した時は、さらに動物園のカバに近かった。生れて初めて働いた時などは、情けないくらいに動物園のカバに近かったために3日でクビになりました。

 そういう意味で私たちは、もっと野性度(自立能力・適応能力)をアップしていった方がよいかもしれません。動物園も、永久に動物園であるとは限らないからです。そのためには大いに旅をした方が良いですね。旅は自分の野性度(自立能力・適応能力)をアップしていきますから・・・・。
【風のひとりごと】
(月刊『風のたより』19号掲載文・1999)

← 前へ