ブルーベリー 旅に出たい人へ
  風のひとりごと

『フーテンの寅さん』に思うこと

 映画『フーテンの寅さん』の主題歌には、

俺がいたんじゃ御嫁に行けぬ
分かっちゃいるんだ妹よ〜

という一節があります。この歌のなかの「分かっちゃいる」という言葉。これがギネスブックにも載った国民的映画『フーテンの寅さん』のテーマであり、寅さんを語るときのキーワードです。

 寅さんは、厄介者です。
 寅さんは、迷惑かけてばかりいます。
 寅さんは、心配かけてばかりいます。
 でも、そんなこと寅さんは、
「わかっちゃいる」
んですよ。

 俺がいたんじゃ御嫁に行けぬ。そんなことは、分かっちゃいるんですよ。どうせオイラはヤクザな兄貴。そんなことは、分かっちゃいるんですよ。
 迷惑かける。
そんなこと分かっちゃいるけれど、つい、ふらふらふら〜っと葛飾柴又のオイちゃんに
オバちゃん、ヒロシにサクラたちに会いにいってしまう。そしてトラブルを起こして皆を怒らせてしまう。

 寅さんは分かっちゃいる。自分が帰ると皆に迷惑をかけることを分かっちゃいる。だからこそ、寅さんの家族たちは、寅さんが帰省するとピリピリしました。みんな一生懸命に「俺たちゃ誰も、おめえ(寅)さんのことを迷惑だと思っちゃないよ」という芝居をしたんですね。でないと寅さんが帰りにくいと思ったんです。
 実際、寅さんは帰りにくかった。自分が迷惑な存在なことを「分かっちゃいる」から帰りにくかった。でも、おいちゃん・おばちゃん・ヒロシにサクラは、

「迷惑じゃないよ」

ってな芝居をするから、つい、ふらふらふら〜っと帰ってしまう。そんな、みえみえの芝居、芝居であることは「分かっちゃいる」くせに帰ってしまう。そして、家族たちの下手くそな芝居に、ついつい甘えてしまい、また迷惑をかける。そして大喧嘩となる。

 この喧嘩の原因。99パーセント隣のタコ社長がつくります。寅さんの前で、オイちゃんたちが一生懸命に芝居しているのに、このタコ社長だけが芝居ができないんです。だからついつい本当のことを言ってしまい、寅さんを怒らせてしまいます。
 オイちゃんたちは、最初は喧嘩の仲裁に入るんですが、興奮した寅さんはオイちゃんたちにもくってかかり、今度は寅さんとオイちゃんの大喧嘩に発展します。
 喧嘩となりゃ、オイちゃんの芝居はどこかにふっとんでしまい家族の口から、ついつい本音が出てしまう。言ってはいけない本音がでてしまう。「俺たちゃ、おめえに迷惑してるんだ!」とね。
 すると寅さんは、ハッと夢から覚めたように現実にもどってしまうんです。芝居の世界から現実に戻ってしまうんです。そして
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
という捨てセリフを残して、どこかに旅立っていくんです。

 寅さんが語る「それを言っちゃあ、おしまいよ」の「それ」というのは、本当のことです。寅さんは、知ってたんですね。オイちゃんたちが一生懸命に芝居をしてくれていることを・・・・。

 寅さんというのは、オイちゃんにオバちゃん、ヒロシにサクラたちが一生懸命芝居をしてくれないと葛飾柴又に帰れない哀れな存在です。彼らが本音を言いだしたら、もうそこにはいられない泡(バブル)のようなはかない存在なんですね。だから「それを言っちゃあ、おしまいよ」というセリフを言うんです。「本当のことを言うなよ。それを言ったら俺は、ここにいられなくなるじゃないか」と、寅さんは心の中で泣いてるんです。『フーテンの寅さん』という映画は、そういう映画なんです。

 そういう意味で『フーテンの寅さん』という映画は、典型的な落ちこぼれを描いた映画ですね。落ちこぼれというのは、どんな競争にも勝てない小心者のことを言いますが、寅さんも立派な落ちこぼれです。エリートにも悪党にもなれない落ちこぼれです。
 どんな競争には絶対に勝てない寅さん。いや勝とうとしない寅さん。マドンナともう1歩でゴールインという場合でも、あえて負けてしまう。つまり失恋してしまうのが寅さんなんです。
 映画というものは、99パーセントの主人公が勝者です。ハッピーエンドだろうが、アンハッピーエンドだろうが、主人公は「競争に勝とうとする人間」と相場が決ってます。結果として主人公が敗退する物語だったとしても、主人公は、勝とうと努力します。ところが寅さんの場合は、わざと負けてしまいます。決して勝とうとしません。根っからの善人であり小心者の寅さんは、決して人に勝とうとしないんです。

 人を評価する言葉に「いい奴なんだけれどね」という言葉がありますが、この言葉は寅さんにこそ相応しいかもしれません。

「いい奴と人から言われたらおしまいだ」

という格言がありますが、「いい奴」という言葉の裏には、(善人すぎて)能力が無い人間というニュアンスがあります。
 つまり勝てない人間。
勝とうとしない人間。
エリートにも悪党にもなれない無能な小市民のことを
「いい奴なんだけれどね」
と人はいうわけです。

 だから私たちは、人から「いい奴」と言われることを嫌います。
いい奴=ダメ人間
 を意味しているからです。しかし、そんな私たちが映画『フーテンの寅さん』を見ると何故か心がホッとします。世の中全体が《いい奴=ダメ人間》という時代の中で映画の寅さんだけは、
 これでもか!
 これでもか!
と「いい奴」を演じきるからです。

 ここで映画の文法について解説します。

 例外もありますが、映画のストーリーには一定のパターンがあります。ダメな男が何かのキッカケ(事件)で立ち上がり努力して勝利をつかむ。主人公が勝利する物語は、だいたいこのパターンの映画です。
 しかし、寅さんという主人公は敗北者ですから、このパターンとはちょっと違います。寅さんの場合は、ダメな男が何かのキッカケ(事件)で立ち上がり努力はするが、結局は失敗して逃げていくという物語です。

 そう考えてみると、『男はつらいよ』という映画は、ずいぶん残酷な映画ですね。これじゃ主人公にがかわいそうです。しかし、観客の皆さんは主人公がかわいそうだと思っているでしょうか?

 答は、ノーです。

 むしろ寅さんを、うらやましく思っています。寅さんのまわりには、心の優しいオイちゃんにオバちゃん、ヒロシにサクラたちがいるからです。『男はつらいよ』に登場するマドンナたちも、寅さんをうらやましく思います。敗北ばかりしている寅さんをうらやましく思っています。

 敗北者。
 本来なら惨めな存在です。

 ところが寅さんに限って全く惨めではありません。何回負けようが、どんなに敗北しようが、寅さんは全くもって惨めではない。むしろ負け続けることによって、ますます輝きを増してくるのが寅さんです。これはいったい、どういうことなんでしょうか?
 一言で言うならば、
『人生は勝ち負けで決らない!』
ということでしょう。
 寅さんは、負け続けることによって、オイちゃんにオバちゃん、ヒロシにサクラたちの温かい愛情を手にしました。もし寅さんが、世渡りがうまくて、御金持ちで、女を次々とものにしていたらどうだったでしょう? 勝ってばかりの人生を歩んでたら、オイちゃんたちの優しい心遣いにふれることができたでしょうか? 妹さくらのせつない愛情を受け取ることができたでしょうか?

 世間を2分する方法に、
1. スポーツ的世界
2. プロレス的世界
に分類する方法があります。

 スポーツ的世界とは、ルールが明確で、勝ち負けがハッキリしている世界のことです。それに相対して、プロレス的世界とは、ルールが明確でなく、勝ち負けのハッキリしない世界の事です。

 では『寅さんの世界』は、どちらに当るでしょう?
 もちろんプロレス的世界です。

 プロレスとスポーツの決定的な違いは、勝ち負けにこだわるかどうかです。スポーツは、勝ったか負けたかが全てです。それに対してプロレスは、どんな試合をしたかが問題になります。極端なことを言えば、勝敗なんかどうでもいい。
 これを人生に置き換えてみると、勝敗にこだわらない人生というものもありうるわけです。そして私たちは、そんな人生に、密かに憧れていたりします。
 多くの人たちが、寅さんに親しみを感じ、寅さんを心から愛し続ける理由は、勝ち負けにこだわらない寅さんという人間に憧れがある。そんな気がします。いかがでしょう?
【風のひとりごと】
(旧「風のたより」40号掲載文・1996)

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