北軽井沢ブルーベリーYGHの世界 登山記録

谷川岳に行く!

 当初の参加メンバーは、たったの二人。参加したいといってくれたMさんと私は、まだ面識はありません。そのMさんも参加者の少なさに参加を尻込みする電話をかけてきました。こんな時は例え一人だけでも私は出動します。そして現地で新しい仲間を調達するのです。
 しかし恐ろしいもので、出発直前になって参加者が押しかけ、飛び入りまであらわれて、アッという間に13名の大部隊になってしまいました。

 谷川岳は新潟と群馬の県境にあります。この辺の気象は変りやすく、そのために谷川岳は魔の山として恐れられてきた山です。遭難者の数は世界1といわれています。私たちは、一番安全なルートを登る事にしました。
 しかし私たちの悪い癖は、余計な道草が多い事です。ごたぶんに洩れず、土井君はキーボード、U君はギターで演奏をはじめて、歌や踊りなどの道草をはじめました。そのために時間が無くなってきたのです。そのうち霧雨が山を包み、谷川岳の頂上に到着した時は、写真と1曲の歌を歌うのが精一杯。
 そして、メインイベントの大雪溪下り。登山道を全く隠してしまっている雪溪こそ、魔の山、谷川岳の恐ろしさを象徴しています。一歩方向を間違えば、確実に死を迎えてしまいます。
 私たちは磁石で位置を調べ、用心深く雪溪を降りて行きました。途中、Tさんが転落するなどの出来事がありましたが、なんとか全員無事に下山を終った時の酒は、究極の味がしました。

 東京に帰る途中、懐かしい人に出会いました。その人はHさんという50歳くらいの人でした。Hさんは列車の中で私に絵葉書を見せてくれました。絵葉書にはきれいな花の絵と、詩が書かれてありました。
 私はその詩に魅了させられました。その詩の一言一言に心を動かされました。その詩の持つ何かに奥深いものを感じました。百枚にのぼる絵葉書を、次から次へと眺めるうちに、私の胸の奥は感きわまってしまい、私は詩の一つを音読しました。

    黒い土に根を張り
    どぶ水を吸って
    なぜきれいに咲けるのだろう
    私は
    大勢の人の愛の中にいて
    なぜみにくいことばかり
    考えるのだろう

「はなしょうぶ」
星野富広
素晴らしい詩に出会ったら、音読する事を御勧めします。音読にたええる詩こそ、本当に素晴らしい詩と言えます。
「星野富弘だね」
と上原一浩さんはいいました。そして彼は星野富弘の事を私に語ってくれたのです。

「星野富弘という人は、昭和21年群馬県に生まれ、群馬大学教育学部を卒業し、高崎の中学校に体育教師として赴任したんだ。しかし、僅か2ヵ月あと、クラブ活動中に頚髄損傷の重傷を負い9年間の病院生活をし、不治のまま退院した。彼の手足は二度と動く言はなかった。つまり神経がやられたため全身が動かなくなったんだ」
「・・・・」
「でも、星野富弘の偉大なところは、そこで諦めなかった事。彼は自分に残された最後の肉体を使ってこの絵葉書の絵と詩を書いたんだ。つまり、口に筆をくわえ、全身全霊を込めて詩画を創作したのが、これなんだ」

 私は、自然と涙が溢れてきました。私の目には星野富弘が、鍬打つ母の姿に涙している姿が見えてきました。庭の隅に咲いてる野草に語りかけてる星野富弘が見えてきました。

    私の首のように
    茎が簡単に折れてしまった
    しかし菜の花は
    そこから芽をだし花を咲かせた

    私もこの花と同じ水を飲んでいる
    同じ光りを受けている
    強い茎になろう

「なのはな」
星野富広

 そういえば、上原一浩さんも障害を持っているんだっけ。そんな事は、つゆほどにも感じさせない上原さんは星野富弘のように力強い人です。 恥かしながら私は、この年まで星野富弘の事を知らなかった。私も星野富弘のように強く生きよう! と、思った私は私たちメンバーにHさんを紹介しました。

「皆さん、ここにいる人はHさんです。私は、たった今、Hさんから素晴らしい絵葉書を拝見しました。星野富弘という人の絵葉書です」

 けれど、星野富弘の絵葉書は今回の私たちには、いまいち不評でした。仲間たちは、私の席から立ち去り、別のボックス席に移っていきました。ちょっと淋しい気もしましたが、これは仕方のない事かもしれません。障害をもっている私や上原さんと、皆が、同じ感性を持っているわけがないからです。
 上原さんが電車を降りると、私のボックスには、だれもいなくなってしまいました。私はたった一人で、詩の音読をはじめました。隣のボックスでは私たちメンバーが楽しそうな話題に盛り上がっていました。

    いつか草が風に揺れるのを見て
    弱さを思った
    きょう草が風に揺れるのを見て
    強さを知った

「やぶかんぞう」
星野富広

 すると、Mさんが私のボックスにやってきました。

「実は私も星野富弘の詩が好きなんです」

 Mさんは福祉の学校に進学するため受験勉強にがんばってる人でした。私とMさんは時がたつのを忘れて星野富弘の事、障害者の事、福祉の事などを話合いました。そして夜を走る列車は、まるで銀河鉄道のように東京に向かって走って行ったのです。
 後日、そんな思い出を星野富弘を、友人に手紙にしました。すると、私の誕生日に星野富弘の本が贈られてきました。Hさんからも星野富弘の絵葉書が贈られてきました。ありがとう・・・・。
【風のひとりごと】
(旧「風のたより」8号掲載文・1993)

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