幼児の頃は絵本を見ても、文字も絵もさっぱりわかりません。しかし、その分からないものを祖母や父母が通訳してくれるのです。それは幼稚園の先生もしてくれましたし、隣近所のお姉ちゃんや、おばあちゃんもしてくれました。みんな根気よく、乗り物について、桃太郎といった昔話について、いろいろな話をふくらませながら通訳してくれたものです。場合によっては、乗り物のおもちゃを買ってくれたこともあったし、桃太郎のお話にでてくるキビ団子を食べさせてくれたこともありました。
子供は、面白くないとすぐにそっぽをむきます。そういう点では、まるで遠慮がありません。だからこそ、桃太郎の絵本を通訳するしてくれた大人達は、いろいろな技をもって、面白おかしく通訳してくれました。ところが自分が大人になっていくにつれて、そういう通訳をしてくれる人はいなくなり、通訳なしに本を読む訓練をさせられ、いつのまにか通訳なしの世界に生きているようになったのです。
桃太郎も、新幹線も、スミレの花も、通訳によってとらえることはなくなり、単なる固有名詞として暗記することはあっても、桃太郎が私たちに何を語りかけているのか、新幹線が私たちに何をもたらしているのか、スミレの花が私たちに何を訴えかけているのか、そういうことにまるで興味を失ってしまっているのです。
そのせいか旅をしていても、その観光地が、何を語りかけていて、何をもたらしていて、私たちに何を訴えかけているのかという視点を、全く持ってない自分に気がつきます。そして、観光地の方でも、そういう視点でお客さまを迎える姿勢は、なかったりします。ないがために、ありきたりの観光で終わってしまうことがおおく、博物館に行っても、あとで何一つ思い出せなかったりするわけです。しかし、それでは、せっかくの旅行が、もったいないですね。
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