4話の台本
この台本から、どうして、あの名作ができたのか? 確かに山田太一氏のホンも素晴らしいのですが、ホンを読む限り、あの名シーンは想像できません。名脇役の小鹿番さんの名演技と、それを演出した高橋一郎さん(福田新一さん?)の名演宿によるところも多いことがわかりました。というのも、ホンから、あの演技を想像することができないからです。
4/15(木) |
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3/22(月)10時〜23時
3/23(火)10時〜23時 |
ちなみに鹿番さんは、2004年4月29日午前1時15分、急性腎不全のため都内の病院で急死した。71歳。
小鹿さんは、森光子主演の「放浪記」で、61年の初演から菊田一夫役を演じ続け、2004年3月の名古屋・中日劇場公演で通算上演1731回となりましたが、中盤から「胸のあたりが痛い」と訴え、公演後の4月上旬、検査のため病院へ。初期の検査で肝臓に陰が見られ、その治療中に腎不全を起こしたといいます。
東宝重役で劇作家の故菊田一夫さんに仕込まれた小鹿さんが、最初に名を上げたのが菊田役。「放浪記」以外にも2作品で演じた。丸メガネ、チョビひげでひょこひょこ歩くそっくりぶりは、菊田さんの死後、晶子夫人が「主人に会いたくなったら芸術座に来ます」と言ったほど。もう1つの当たり役「ラ・マンチャ−」の軽妙なサンチョ・パンサやNHKテレビ小説「虹」の気さくな魚屋の主人など、人柄の良い小鹿さんそのままの役柄。
脇役としての地位が固まった74年「もう二枚目みたいな敦という名は似合わない」と、「子鹿のバンビ」から付いたニックネーム「バンちゃん」をそのまま芸名。鉄道ストの時、大宮市の自宅から東京・有楽町の芸術座まで三十数キロを自転車で通い周囲をびっくりさせたこともありました。
◆小鹿番(こじか・ばん)
本名・小鹿敦。1932年(昭和7年)6月18日、東京都生まれ。明大文学部演劇学科卒。57年劇団東宝現代劇の1期生として入団。93年の「ゆずり葉」で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。日本テレビ「前略おふくろ様」などドラマにも多数出演。家族は妻有代さんと息子2人。
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